ナチスの強制収容所、アウシュビッツ
一見そう見えるこの場所は、
1940年頃、ヒトラー率いるナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)によって大量虐殺、
いわゆる「ホロコースト」が行われた
アウシュビッツ強制収容所。
そんな悲劇が起こった場所とは思えないほど、
今となっては穏やかな空気が流れるこの場所。
「アウシュビッツ」と言う名前の方が聞き馴れていますが、
それはドイツ語での呼び名で、
現地、ポーランド語では
「オシフィエンチム」というのがこの場所の名前。
今回はクラクフ発のツアーで
行ってきました(100PLN)。
※中央広場近くのツアー会社で申込み
宿に迎えにきたバンに乗り込み、
約一時間半で到着。
敷地内はツアーで見学する形式。
(収容所内は、小さいバッグ以外は持ち込み禁止。
※入口付近に荷物預かり所もありました)
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)
と書かれた門をくぐりり抜けると、
建ち並ぶ建物。
これらの建物のほとんどが
囚人たちの住みかだったそう。
現在のところ、ホロコーストでは
150万人が犠牲になったというのが
有力な説らしいですが、
どこから、
どんな人が連れて来られたのか、
正確にはわかりきらない程、多くの人々が犠牲になったそうです。
その大半は
何が起こるかわからずに
この場所にやって来た人たち。
新しい生活が始まると思い、
荷物をまとめ、お洒落をしてやって来た人々だったそう。
※当時この場所は、
カナダのようにいろんな民族がいて、
豊かな理想的な場所と思われており、「カナダ」とも呼ばれていたとの事。
ここにやって来た75%の人々は、
到着するや否や、
そのままガス室へ連れて行かれ、
"シャワーを浴びる"と聞かされてガス室の中に入り、
ガスが撒かれてから15~20分程度で命を落としたそう。
これから起きる事を誤魔化す為に
脱衣所を設けたり、
タオルや石鹸を彼らに渡すこともあったそうです。
ガス室に残った大量の遺体から
ジュエリーや金歯、女性の髪の毛などは残し、
再利用。
犠牲者の方々の髪の毛で作った絨毯、
そして、
彼らの靴や眼鏡、鞄なども大量に残され、
建物内に展示されていました。
その他、
当時の様子を物語る写真や、
連れてこられた人々の到着日と命日が記された証明写真の展示、
寝室やトイレ、
牢獄も当時のものが残され、公開されています。
建物の間にある
今尚、花が手向けられている壁は、
銃殺に使用された通称「死の壁」。
そんな、
一度入ったら二度と命あるまま外に出ることは
許されないようなこの場所から
脱出を試みた人々もおり、
800人が脱出し、その内140人程が脱出に成功したそう。
各建物内を巡り、
最後に案内された建物が、
火葬場が隣接されたガス室。
多くの人々が詰め込まれ、命を落としていった場所。
約2時間、
アウシュビッツ内を巡り、
続いて向かったのが、
車で5分くらいの場所にある
「第二アウシュビッツ」とも言われる
ビルケナウ。
アウシュビッツより広大な敷地を誇るビルケナウ。
元々ここにあった街をナチスが破壊し、
その瓦礫も活用しつつ作った強制収容所。
列車1両に80人がギュウギュウに詰め込まれ、
列車が到着したら選別され、
80%はそのままガス室へ連れていかれ、命を奪われたそう。
ビルケナウには、
犠牲者の為のモニュメントも設置されていました。
ここでは、
人体実験も頻繁に行わており、
特に双子はその実験対象になったらしい。
その理由は、
双子の仕組みを解明し、
効率的にドイツ人の人口を増やそうとしたのではないかと、推測されています。
映画や小説の中のフィクションではなく、
現実に起こった出来事。
今日訪れたこの場所以外にも
世界中にはたくさんの
負の遺産がたくさんあり、
決して楽しい気分になれない場所に
敢えてお金を出してまでやって来る人がこんなにいるのに、
どうして世の中から
悲惨な事件や争いは消えないのだろう。
一方で、
旅をしていると、
どこの国に行っても
どこの誰かもわからない私に対し、
本当に数えきれない程にたくさんの人が
親切に接してくれ、助けてくれてきた。
一番恐ろしいと感じるのも、
一番愛しいと感じるのも、人間。
そんなことを考えさせられずには
いられない場所でした。
一日見学しただけではわかりきらない事も
たくさんあるけれども、
ポーランドを訪れた際は、
遡る事80年にも満たない時に悲劇が起きた場所にも、
立ち寄ってみてください。
by ice_oga | 2015-10-27 18:20 | 街散策 | Comments(0) |